当時の宗教観

マキャベリの没後5年目、本が出版されるとすぐにカトリックの聖職者が避難の合唱を上げた。

宗教改革たけなわのころ、本書を弾劾したのは、フランスの新教徒ジャンチェだった。彼はサン・バルテミーの虐殺が起きたのは、黒幕に王妃カトリーヌ・ド・メディシスがいたからで、彼女こそ君主論を贈られたウルビーノ公ロレンツォの娘。従って彼女の暴挙は君主論に吹き込まれたからだとこじつけた。少年犯罪が起きると漫画やゲームのせいのする有識者みたいな人は16世紀にもいたようだ。

あの時期のヨーロッパ社会は、国家運営の基軸は宗教(カトリック教会)だった。 宗教が全面に押し出されると言うことは、「道徳」が全面に押し出されると言うことだ。 とくに、彼の祖国フィレンツェのあるイタリアには、カトリックの総本山ローマ教皇庁があった。 彼の生きた時期は、丁度このローマ教皇の世俗権力が頂点に達していた時期である。

しかし、マキアヴェッリは「政治」と「宗教」を切り離した。 「政治」とはあくまでも人間社会の出来事(俗世)であり、それゆえに徹底的に人間を研究し、彼なりの政治論を書き上げていった。 人間を徹底的に研究するのはイタリア・ルネサンスの特徴でもあるので、そう言った意味では彼は当時のトレンドを行っていたのかもしれない。

トップページ | マキャベリ年表 | 君主論の登場人物 | 発表から評価まで | 時代背景 | マキャベリ語録 | サイトマップ