少年期・青年期

マキャベリは1963年フィレンツェの南西の庶民的な界隈で生まれ、育った。マキャベリ家は町の名家で、13世紀以来幾度か共和国の要職に付き、公文書に名前が残っている。

よく「少年時代独学で古典教養を身につけた」といわれているが、その教養の元は父ベルナルドにある。ベルナルドは法律家で、書籍の蒐集を趣味としていた。蔵書には、「倫理学」アリストテレス、「天文学」プトレマイオス、「弁論学」キケロ、「博物学」プリニウス、「ローマ史」リヴィウス……その他、ダンテ、聖書、歴史書、法律関係の書物などで、合計約20点、冊数にすれば40冊はあった。現在でも読まれる良著ばかりである。

当時の書籍は貴重品で、法律関係の本が4〜5フィオリーノ、古典(哲学・歴史など)が3〜4フィオリーノ、近代文学が(ダンテ、ペトラルカなど)2フィオリーノした。ちなみにベルナルド(妻と4人の子供がいて農園も持っている)の年収は110フィオリーナ14ソルディで、当時の中流階級に属していた。年収くらいのお金を書籍に費やした計算になる。さらに当時の本はメンテナンスが必要で、表紙が痛むと新しい表紙に張り替えるために製本所に修理に出した。 ベルナルドの備忘録にも「書物の製本を依頼した紙屋のフランチェスコ・ディ・アンドレーアに、息子ニコロを使いにやり、50ソルド分の赤ワインをひと樽持って行かせた。なお4日にも現金20ソルドもたせた。皮革を手に入れるために、20ソルド出さなければ仕事が出来上がらないとの、ことづてがあった。8日、赤ワイン3本、ビネガー1本持たせた。同日、製本が仕上がって本が戻ってきた」と書いてある。マキャベリは少年時代から本に親しんでいたようだ。

「君主」や「国家」とは程遠い牧歌的な生活だ。そんな生活で教養を深めたマキャベリは、大学には進学しなかった。当時、少数のエリートが通う場所だったので、「そこまで優秀ではなかった」「家が裕福ではなかった」と様々な憶測があるが理由は分かっていない。

マキャベリが29歳まで何をしていたのかはわかっていない。今でいうところのニートだった、19歳で銀行員になっていたなど諸説ある。 そして少年時からの教養を生かし、マキャベリは29歳でフィレンツェの第二書記局長(今でいうところの外務省のノンキャリア官僚)にまで上り詰める。

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