マキャベリとチェーザレ・ボルジア

マキャベリは他所で述べたように、共和制フィレンツェの書記官であり、これに対して父教皇アレクサンドル6世の支援を受けたチェーザレ・ボルジアは近隣地域ロマーニャの支配者であった。チェーザレはメディチ家のフィレンツェ復帰を画策し、フィレンツェが支配する周辺地域(ピストイアやアレッツォなど)での反乱を配下の傭兵隊長を使って煽動していた。これら一連の事件はフィレンツェに深刻な危機感を与え、マキャベリはフィレンツェ外交団の一員として直接チェーザレ・ボルジアと交渉に臨むこととなった。この時、チェーザレは現在のフィレンツェ政府が嫌いだと公言し、フィレンツェが深刻な打撃を受けているのは愉快なことであると述べ、トスカーナ制圧は決して困難ではないとトスカーナ側を脅迫した。マキャベリは「ボルジアのやり口は他人に気づかれる前に他人の家に入るようなものである」とフィレンツェ政府に報告しつつ、同時にこの君主が偉大で精力的な君主であることを認める書簡を送っている。

「容姿ことのほか美しく堂々とし、武器を取れば勇猛果敢であった」とチェーザレの印象を書き残している。

マキャベリにとってチェーザレはあくまで外交軍事上のゲームの相手方であり、時には相対立し、時には横からの観察の対象であった。マキャベリには彼を崇拝したり、後世にその名を伝えなければならない政治的な関係はなかった。

マキャベリは、チェーザレの死後、外国に蹂躙されるイタリアの回復を願い、統治者の理想像をフィレンツェのメディチ家に献言するため『君主論』を執筆した。マキャベリは『君主論』の中で、「チェーザレは高邁な精神と広大な目的を抱いて達成する為に自らの行動を制御しており、新たに君主になった者は見習うべき」とし、また「野蛮(barbarous)な残酷行為や圧政より私達を救済するために神が遣わした人物であるかのように思えた」と記した。

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